こんにちは。担当の乃森です。
それは、ある悲劇なのです。
形容し難い感情が胸の内をぐっと掴み、
現れた一抹の悲しみに足を止めます。
これから新たな命となって空を飛び回るはずだったものが、
無残にも地面に叩きつけられています。
なんということでしょう。
今年の春先に現れた燕は、昨年使われた巣をそのまま子育ての場と決め、
昨日まで営みが行われておりました。
ただこの巣は、とてもバランスの悪いところに作られていたのは確かです。
防犯カメラのケーブルを元に、絶妙なバランスで作られていたものでした。
「よくこんなところに作ったなぁ」と感心したのを覚えています。
ちょっとした一因がそのバランスを崩壊させ、
落下という結果になったのでしょう。
無常。
物事は常に変化しとどまりません。
遥か昔に仏陀が説いた世界の摂理を、私は思わずにはいられませんでした。
ではお店の様子です。
フキです。
時期としてはもう終わりの方も多いのですが。
トゲのある山菜ですが、お湯に通すと問題ありません。
クセのない山菜です。
根曲がり竹、姫竹などと様々な呼び名があるので、
戸惑うこともありますが、同じです。
今年も大きなものがたくさん出てきています。
これからまだ出てきますが、今年は入荷量が少ない印象です。
レタス、オカヒジキなどが並んでいますね。
次から次へと新たな命が生まれ、育ち、まるで宇宙のよう。
一方で、燕の卵のように、わずか一瞬で失われてしまう命もあるのです。
生と死は本来は常に一体となるもの。
生が死であり、また死は生であるのです。
生命は常に循環し、消滅と再生を繰り返します。
それはこの宇宙が、わずか、ほんのわずかな一点から、
凄まじいエネルギーをもって一気に始まったように、
すべてはエネルギーの循環です。
エネルギーは質量に。質量はエネルギーに。
私の敬愛する祖母が荼毘にふされ、
煙となって天に向かう祖母の体は、
いつしか雨となって桜の花を咲かせるでしょう。
無常。
常に物事は変化しとどまりません。
それは、ある悲劇なのです。
のんびりとくどくどと訳の分からない思索にふけっているうちに
こんな時間になってしまいました。
やることリストのメモが朝からどんどん増えているというのに。
これはちょっとやばいです。
本当にまずいです。
仕事が終わらないかもしれません。
毎度のことながら、自分が招いたある悲劇なのです。
お待ちしております。