2019年3月11日月曜日

8年前を思い出す

こんにちは。担当の乃森です。
まずはこちらから。

==本日のりんご======
・無袋ふじ
・シナノゴールド
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寒さはそれほど強くありませんが、
本日は一日雨になりそうです。
8年前は雪が降っていました。

店舗の様子です。
越冬菜。最後の販売となりましたが、
大根類が並んでいます。
ぜひお試しください。


野菜類はテーブル一台。



果樹です。





乾物にお菓子。



りんごの森特製のお弁当にお惣菜です。



さて、東日本を襲った大きな災害から、ちょうど8年が経ちます。
時間とともに世間の関心は薄れ、震災を知らない世代がどんどん生まれてきています。
かく言う私も「忘れて」生活している人間です。
原発が爆発する映像も、巨大津波が町を襲う映像も、
波に押し流された町も実際にこの目で見ていたはずですが、忘れています。

3月11日。
毎年の作業です。
思い出してみます。
忘れてなんかいません。

当時、私が何を感じていたのか。
何を考えていたのか。自分でも恥ずかしいくらいに、
頭の片隅に追いやられて日々の生活を送っていたことに気づきます。
そして、いつもあの日からちょうど1年が経った2012年3月11日の
ことを思い出します。

私と妻は宮城県名取市の海に向かいました。
わずかに小学校やお寺などの建物が残されていますが、
あとは建物の基礎を残してなにもありません。
記憶と目の前の風景が全く重なりません。

午後2時46分を間近に、
どこからともなく人が集まり始めました。
慰霊碑に集まる人、海岸に集まる人。
私と妻も海岸に向かいました。

午後2時46分。
誰一人言葉を発しません。
静かな、空気の音が聞こえるのではないかと思うくらいの
とてつもなく静かな海でした。
そのときのピーンと張り詰めた空気はものすごい緊張感をもって、
肌から伝わってきます。
そして誰もがみな、海に向かって祈りをささげていました。

自然とかかわって生きていくこと。
多くの人命を奪い去った海ですが、それでもやはり海に祈りをささげます。
恩恵も厄災もどちらも持ち合わせているからです。

情報網、交通網、食糧流通、燃料供給、多くのインフラが麻痺しました。
それに対する備えを忘れてはいけませんが、
自然の中に生きていることも忘れてはいけません。
巨大な防潮堤がそれに対する回答としてふさわしいかどうかは、
まだ答えが出ていませんが、時が経つにつれ解き明かされるでしょう。
しかし、その答えがわかるのが次の世代ということもしっかりと
心に留めなくてはいけません。

100年後に使う木を育てるという仕事があります。
足元ではなく、遥か先を見据える。
あの日から8年。
次の世代、次の次の世代へ。
日本があの日を忘れずにいてくれることを願います。