こんにちは。担当の乃森です。
金曜日のブログのトラブルから2日経ち、
恐る恐る画像をアップしてみたところ、無事アップできました。
ふう、よかったです。
ブログ担当の私の仕事が無くなり、
そのまま私自身が打ち切りとなる事態はなんとか避けられそうです。
あっ、この画像は試しにアップしてみたテングザルの画像です。
念の為、もう一度試してみます。
あつ、大丈夫なようです。
最悪ブログの打ち切りまで考えてましたから、ひと安心です。
では、本題に入りましょう。
5月も明日で終わりです。つい最近大型連休だったような気がしますが、
それからひと月が過ぎようとしているのですね。
6月を目前に山菜たちはすっかり数が減ってきました。
ワラビなどはまだまだちょこちょこと出てくると思いますが、
もうピークは越えています。
逆に安定的にお店に並ぶのが「フキ」です。
ほろ苦さが特徴の山の味覚です。ただスジ取りなどの手間のせいか、少し敬遠されがちな農産物でもあります。
先日、ちょっとした家事をこなしていたところ、
つけっ放しになっていたテレビから気になる内容が聞こえてきました。
ご覧になった方もいるかもしれませんが、
手遊び歌の『おべんとうばこのうた』の歌詞が
変わってきているというではありませんか。
現在の幼児たちは「おにぎり」ではなく、
「サンドイッチ」などに変えて歌っているところがあるそうです。
しかも理由がごく単純。
「こっちのほうが親しみがあるから」だそうです。
きざみしょうが、ごましお、にんじん、さくらんぼ、しいたけ、ごぼう、
れんこん、フキ。
歌詞に出てくる食べ物です。
ショウガはまだしも、言うほど園児に馴染みのない食べ物でもないように
思えるのですが、可哀そうなのは「フキ」です。
「スジの通ったフキ なんて園児には意味不明」とまで言われる始末。
フキよ。
時代だよ。時代が変わったんだよ。
そんなに悲しむんじゃない。
時代のせいさ。
どうなんでしょうか。若い世代の家庭にはフキは食卓に上らないものなのでしょうか。そう考えてみると、我が家の食卓も、
義母がいなければわざわざフキを食事に出すことはないかもしれません。
これも食生活の変化、ライフスタイルの変化の一部なのでしょう。
可哀そうなフキはさておき、
この話題にはもっと大きな時代の変化を象徴しているものがあります。
それはサンドイッチに主役を取って代わられた「おにぎり」です。
おにぎりを食べない日本人。
日本の米離れはどんどん進んでいます。
ここにも地元朝日町産のお米が並んでいます。
山形のブランド米「つや姫」や「雪若丸」。庶民の味方「はえぬき」と。
はるか昔から米作りは日本の産業の中でも大きな根幹のひとつでした。
朝日町でも多くのお米が作られています。
ですが、食生活、ライフスタイルの変化により、米の需要は減少の一途。
米余りは毎年深刻さを増していきます。
さらにここにきて、コロナによる消費の減少も重なり、
山形県でも20年度産の備蓄米がかなりの数になるそうです。
そうなれば米価の下落も懸念されます。
近年では「米農家では食っていけない」とまで言われるようになってしまいました。
県も国も食用米生産からの転換を進めようとしていますが、
なかなかうまく進んでいないのが実情のようです。
お店並ぶ「お米」を少し見てみましょう。
りんごの森特製のお弁当。
会員さんののり巻き。チヂミには米粉が使われています。お米です。
やはりお米って食べられなくなってきているんでしょうか。
確かに、お店でもパンの売れ行きは好調です。
手軽に食べられるというのがパンが人気の理由かもしれませんが、
軽食コーナーにしてもラーメンなどは盤石の人気メニュー。
小麦粉食の文化の浸透はあまりにも深い・・・。
私育った生家では、ほぼ毎日朝食は「ごはん」でした。
全くパンを食べないというわけではありませんが、
パンの立ち位置はあくまでも脇、主食に置かれることはありませんでした。
私の祖父が米を作っていたということもあり、お米は食卓の主役でした。
私が家を出て独立する際は、必要な家電には「炊飯器」がありましたし、
ご飯を炊いて食べるという行為は自然なことだったのです。
ところが今の若い世代、特に進学などで家を離れる若者にとっては
「炊飯器」は必ずしも必需品ではないそうです。
これも時代の変化なんでしょうね。
「昔はよかった」などと口にしたらそれこそ時代からのはじかれ者。
それでも自宅の近くが輝く稲穂で溢れていた光景は、
ある種の「豊かさ」に満ちていたような気もするのです。
道の駅近くの田んぼでは今年も稲が植えられています。
この風景はいつまで続くでしょうか。
お米も「フキ」もございます。
お待ちしております。