こんにちは。担当の乃森です。
本日は曇りの一日。今に雨が降ってきてもおかしくないような雲の様子。
早いところでは梅雨入りをした地域があるそうですから、
この調子でそのまま梅雨入りなんてことも無きにしもあらず。
すっきり晴れる日が欲しいですね。
ではお店の様子です。
5月も折り返し後半に入りました。
山菜たちはまだまだ出てきていますよ。
まずはワラビです。
今外で見かけるものは、いかにも「シダ」という感じで、
バーっと葉が伸びて開いているものばかりですが、
まだあるところにはあるんですね。
そしてタケノコたちもずらっと並んでいます。
細竹ですね。
我が家の孟宗竹も掘りに行く暇がなくてだいぶ放置されています。
どうしましょう。
ワラビのアク抜きが面倒だという方、どうぞ。
シドケは独特の「クセ」と苦みが人気で、好きな人はとことん好きという山菜です。
苦手だという方もいらっしゃるでしょうね。
葉っぱがモミジのような形をしている方がシドケですね。
続いて山菜以外の野菜たちを見てみましょう。
ブロッコリーと三つ葉です。
分かりづらいですが、ここに小松菜、ほうれん草、エシャロット、
葉大根、二十日大根が並んでいます。
二十日大根は分かりやすいですね。赤が映えます。
色がとても綺麗だったので、つい写真に収めてしまいました。
どうしてこんなに綺麗な赤が出せるんでしょうか。
自然物の美しさには人間は到底太刀打ちできません。写真や映像でもいいですが、現在のデジタル技術を駆使すれば、
かなり鮮明な「色」を再現することができます。
CGの技術も相当ですから、本物と見まがうような「複製」を作ることもできます。
ですが、直に目で見たものと比べてしまうと、
感動や印象はどうしても劣ってしまう。
微細な色の変化を含む夕暮れ時の空に感動して、慌ててカメラに収めてみても、
画像を見てみるといまいちだったり。
自然物には、人間がどうしても辿り着くことのできない圧倒的な美しさがあるのです。
ただ美しいと思うのは、私であって、
二十日大根にしてみればどうでもいいことです。
どうして胚軸が赤いのかはわかりませんが、そもそも土の中にありますから、
赤である必要もないのかもしれません。白で全く問題はないはずです。
ではなぜ二十日大根は赤いのか。
これはとんでもない難題です。
そもそも色がなぜ存在するかということも関係してくるはずです。
さらにはなぜ人間が認識する色、つまり光の可視領域が限定されているのか。
インテリジェント・デザイン理論が本当だとすれば、
人間という存在に合わせて色がデザインされたと主張する人も出てくるでしょう。
それよりも「人間が美しい」と感じてしまうことの方が重要なテーマで、
色の存在などほとんど関係ないとも言えます。
要するに人間の「美」を捉えようとする思考が・・・
『乃森ってめんどくさいなあ』。
(5月吉日 二十日大根 談)
お待ちしております。